1994年にハワイ・ホノルルで起きた、天才占い師・藤田小女姫親子殺害事件。
事件当時から、囁かれていたこの事件と日本の政財界との関係性は?
また、藤田小女姫が持っていたとされる「ブラックノート(黒革の手帳)」の在り処についてまとめてみました☝
藤田小女姫のプロフィ―ル
ポイント
- 名前:藤田 小女姫(ふじた こととめ)
- 本名:藤田 東亞子(ふじた とあこ)
- 生年月日:1938年1月4日生まれ(56歳没)
- 出身地:福岡県福岡市
- 職業:占い師、経営コンサルタント
11歳で「天才少女占い師」「千里眼少女」としてマスコミに登場し、当時話題になりました。
本人曰く、9歳のときにハワイの狐が憑依し、その頃から霊感を得たそうです。
藤田小女姫殺害事件の概要
まずは、藤田小女姫殺害事件の概要から見ていきましょう。
1994年2月23日(現地時間)に、人気美人占い師・藤田小女姫がハワイのホノルルにある自宅マンションで射殺体として発見されました。
また、同日、藤田小女姫さんの養子である藤田五郎さんも、マンションから数キロ離れた駐車場に止められた車の中で焼死体として見つかりました。
この事件の容疑者として逮捕されたのが、息子・五郎さんの友人であった福迫雷太容疑者(当時28歳)です。
その後の裁判で、福迫雷太容疑者は、第二級殺人罪で終身刑が確定しました。
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藤田小女姫と政財界の関係性は?
この事件には、多くの謎が残されています。
その中に、日本の政治が関係しているとされていますが、藤田小女姫と政財界にはどのようなつながりがあったのでしょうか?
結論からいいますと、
日本の政財界と藤田小女姫は深いつながりがあった
ということが分かっています。
殺害された藤田小女姫は生前、その美貌と予言が当たるとの噂から日本の政財界や経営者たちと深いつながりがあったようです。
この事件の犯人である福迫雷太は、逮捕時より無罪を主張していました。
また事件があった翌年に行われた裁判で、判決が下った際にはこのような言葉を残しています。
「この裁判に圧力をかけている人に言います。私は約束します。
私は話しません 何も話しません
私の家族や恋人に何もしないでください」
この発言が多くの波紋をよびました。
福迫雷太受刑者の主張によると、「自分は脅されていて殺人には関与していない。裏に大きな闇の存在がある。」といった内容でした。
藤田小女姫と政財界の深いつながりとは?
11歳の頃から霊感があるとされ、産経新聞でも『奇跡の少女現る マリを突きながら何でもズバリ』という見出しで紹介された天才占い師の藤田小女姫。
源泉の場所を言い当てたり、日米新安全保障条約の成立を予言するなど、美人占い師として主に政財界の大物を顧客として財を成しました。
その顧客の中には、岸信介や福田赳夫といった歴代の内閣総理大臣や、松下幸之助といった日本の実業家たちがいました。
藤田小女姫による予言の有名なエピソード
そして、藤田小女姫による予言が的中した有名なエピソードとしてあるのが、
岸信介氏が総理大臣時代に「安保条約は通らんか?」と訊いたところ
小女姫が「断固としておやんなさい。通ります。その代わりに、あなたの内閣は長く持ちませんよ」と答えた
というのがありますね☝
そして、小女姫の占い通り、1960年6月19日に日米新安全保障条約は成立し、そのわずか4日後に岸内閣は総辞職することとなりました。
このように「藤田小女姫による予言は当たる」と噂になり、当時、大物の政治家や経営者から可愛がられファンが多かったようです。
「ブラックノート(黒革の手帳)」とは?
当時56歳だった藤田小女姫はハワイの自宅マンションで不可解な死を遂げます。
この事件で逮捕され、殺人罪で終身刑を言い渡された福迫雷太容疑者。
この福迫雷太容疑者が、2011年に獄中インタビューを受けた際に明かした「ブラックノート(黒革の手帳)」の存在。
当時、ハワイにいた知人から多額の金を恐喝されていた藤田小女姫さんは、福迫雷太容疑者の紹介で東京の金融会社を営んでいたKという人物と出会います。
そのKから200万ドル(当時の日本円で約2億円)の借金を受ける際に、担保として提出したのがこの「ブラックノート(黒革の手帳)」です。
「ブラックノート(黒革の手帳)」には、政財界に顧客をもつ藤田小女姫が、秘密情報を書き記していたとされている。
福迫雷太容疑者によると、大物政治家たちがどういった人物だったのかについても詳しく書かれているとのことです。
つまり、世に知れては困るあらゆる機密情報がこの「ブラックノート(黒革の手帳)」には記されているということですね💡
実は、藤田小女姫が殺害された後、この「ブラックノート(黒革の手帳)」が無くなっていたのです。
「ブラックノート(黒革の手帳)」はどこにある?
それでは、藤田小女姫が殺害された後、無くなったとされるこの「ブラックノート(黒革の手帳)」は一体どこにあるのか?
それは
この事件の真犯人の手元にある可能性が高い
といえます。
なぜならば、この「ブラックノート(黒革の手帳)」の内容が知られたらまずい人物の手によって奪われた可能性が高いからです。
この事件の実行犯として逮捕された福迫雷太容疑者が持っていないとすると、
別に真犯人がいてその人物が藤田小女姫の部屋から持ち去ったと考えるのが自然だといえますよね。
※ただし、福迫容疑者は獄中インタビューで、この「ブラックノート(黒革の手帳)」の一部をコピーして持っていることを明かしています。
2024年現在も見つかっていないとされるこの「ブラックノート(黒革の手帳)」の存在。
もしかすると、もうこの世には存在しないのかもしれません・・・
まとめ
今回は、藤田小女姫の「ブラックノート(黒革の手帳)」はどこにある?と題して、調べた内容をまとめました。
- 藤田小女姫は日本の政財界と深いつながりがあった
- 藤田小女姫の顧客には、岸信介や福田赳夫、松下幸之助などがいた
- ブラックノートは真犯人の手元にある可能性が高い(またはもう存在しない)
- 福迫雷太容疑者はブラックノートの一部をコピーして所持している
これらのことが分かりました。
謎多き事件の真相が明らかに来る日はあるのでしょうか。
今後も追っていきたいと思います。